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宮ノ下

温泉にゆかりが深く、地元の守り神さまとして人々を見守る宮ノ下「熊野神社」 

投稿日:2018年8月16日 更新日:

箱根・宮ノ下といえば、明治時代は数々の著名人や外国人が宿泊し、箱根を代表する富士屋ホテルや、太閤秀吉が小田原攻めの最中に家臣を連れて入ったと伝えられる「太閤の石風呂」、イギリス人の日本研究家、チェンバレンが良く散歩した堂ヶ島渓谷遊歩道(チェンバレンの散歩道)など、見どころが沢山ありますが、宮ノ下という地名の起源は宮ノ下にある熊野神社にあると言われています。

 

【1】宮ノ下熊野神社

熊野神社を管轄されている箱根神社の社報『平成11年10月1日発行・通巻196号箱根探訪 シリーズ「神社と祭り⑬」』に詳しく記されているので引用させて頂きます。

『熊野神社は、古くは「熊野権現(くまのごんげん)」と言われ、箱根七湯のひとつ宮ノ下温泉郷に鎮座するお社(やしろ)で、当神社の創建は明らかではないですが、温泉守護に霊験あらたかな熊野権現を勧請(かんじょう)したお社であり、主祭神には「櫛(くし)御毛(ぬけ)奴(ぬの)命(みこと)」がお祀りされています。

江戸時代、文化八年(1811)に書かれた箱根七湯の案内書『七湯の枝折(しおり)』には「此宮ノ下ハ筥根の山の半腹にありて土地高く打ひらけたる所なり(中略)又爰(ここ)にも熊野権現を勧請すそのたの傍らに、もとゝり塚といふ塚数あり。風土の做(ならわ)しに稚髪するものハもとゝりを必こゝに埋むといふ。」とあり、当時の風習と共に絵図には熊野権現界隈の様子がよく描かれています。

また嘉永元年(1848)六月、湯治のため宮ノ下温泉の奈良屋に訪れた幕末の国学者・橘(たちばなの)守部(もりべ)は、『箱根日記稿』の中で「此さとの岡の上に熊野ノ大神を斎ひまつれり。いと古き社なりといふ。かれ此さとを宮の下とはいふにこそ。今日此宮にまゐ(い)でゝぬさ奉る。御湯も此神山よりながれ出れば、即神の賜ものなり。かれあさにけにぬさたてまつりて、箱根の大神をも、此岡よりたよせにをろがみ奉る。」と記しており、絵図や日記をみれば判るように箱根七湯のひとつ「宮ノ下」の地名も、この熊野権現の宮の下という立地に由来するものであることがわかります。

『新編相模風土記』には、「熊野社ニ 一ハ宮ノ下。一ハ堂ヶ島ノ鎮守ナリ」とみえ、当社が宮ノ下の鎮守であることが記されています。明治三五年(1902)十二月、当神社では社殿をはじめ鳥居・石段等の大規模な修築が行われましたが、当時、隣接する富士屋ホテルに長期滞在していたイギリス人の日本語学者バジル・ホール・チェンバレンは当神社修築にあたり多額の寄進を行いました。チェンバレンは、日本古典を世界に紹介した人物として有名で、特に『英訳古事記』や『日本事物誌』は名著として知られています。社前にはチェンバレンの功績を讃え、その蔵書を納めた記念文庫、「王堂(おうどう)文庫(ぶんこ)」(昭和二十年に焼失)の跡地が史跡として残されています。』

霊験あらたかな「熊野神社」のご利益、また先人達の情熱と行動が、この地域を今なお栄えさせている理由の一端にあると感じます。

なお湯本町役場備付の明治初年の旧土地台帳に「神地三畝八歩熊野神社官有地」とあります。

その他、古老の口碑に往昔湯場温泉発見の当時、温泉の守護神として勧請したものであると伝えられ相当古き時代に奉祀した神社であることが確められています。

その後昭和五年の逗相大地震の折、神社後方の山腹が崩壊して社殿その他一切の造営物を埋没したので、その後発掘したが僅に拝殿に掛けてあった欅板の額(元治の頃、氏子福住正兄-二宮尊徳の高弟-の奉納になる)一面を発見したのみでありましたが、幸に埋没を免れた正面階段の手水舎に「宝暦三年(一七五三)酉霜月吉日」と刻みがあります。(神奈川県神社誌より)

こぢんまりとした神社ですが、木々に囲まれ清らかな空気が流れています。
社の左手にもととり塚と呼ばれる小さな石仏があり、恋愛関係にある女性の髪を供えると、二人は来世でも出逢えるという言い伝えがあるそうです。
国道1号線沿いにある嶋写真館の角を曲がった小道の奥にあり、分かりやすい場所にあります。

熊野神社御祭神  櫛御毛奴命・菊理姫命・速玉命・事解命
例祭 9月15日
社殿 本殿 覆殿 拝殿

 

【2】宮ノ下にある箱根神社

また、近くには「箱根神社」があります。
正式名は「箱根神社」ですが、一般に「宮ノ下の箱根神社」と呼ばれています。箱根大神が祀られており、芦ノ湖畔の箱根神社の分社となります。南北朝時代の頃に創建されたと言われ、古くから底倉の鎮守として崇められていました。
交通手段がまだ発達していなかった頃は芦ノ湖の箱根神社まで行く事が大変なため、宮ノ下の箱根神社へお参りしていたと言われています。

 

【3】王堂文庫跡地

熊野神社の鳥居の左下にあります。王堂文庫は、明治6年(1873)に来日した英国人バシル・ホ-ル・チェンバレン(Basil Hall Chamberlain(1850~1935)の書庫があった場所です。チェンバレンは、海軍兵学寮の英学教師として招かれ、のちに外国人として最初の東京帝国大学(現・東京大学)名誉教師になった人ですが、日本滞在中は、和歌や日本語について深く研究し、日本文化を広く世界に紹介しました。

 

【4】宮ノ下温泉について

よく耳にする、「箱根十七湯」とは、箱根に湧く様々な泉質の17の温泉を示す言葉。江戸時代からの7つの温泉に、明治時代以降に開かれた10種類の温泉を加えてそう呼ばれます。
江戸時代から続く「箱根七湯」のうちの4つの温泉場、宮ノ下、底倉、木賀、堂ヶ島が集中していることもあり、それぞれ泉質や効能が違います

宮ノ下温泉

富士屋ホテルなど有名建築も多い、レトロでモダンなムード漂う温泉地です。
川辺光栄堂さんの、宮ノ下の地下水を使って作られた鉱泉せんべいがおすすめです。
主な泉質 :ナトリウム-塩化物泉
泉質の効能:神経痛、筋肉痛、冷え性、美肌の湯、切り傷、慢性皮膚病など

底倉温泉

渓谷の上にある、小さな温泉地。古くから開かれた温泉地で、その泉質は効能豊かです。
「凾嶺(かんれい)」という、昔、医院だったところを改装したレトロな洋館は、知る人ぞ知る日帰り温泉施設です。
また、「富士屋ホテル」のほぼ真向いに位置する「太閤湯」はワンコインで利用できる共同浴場です。
主な泉質 :ナトリウム-塩化物泉
泉質の効能:神経痛、筋肉痛、冷え性、美肌の湯、切り傷、慢性皮膚病など

木賀温泉

箱根七湯の中で二番目に長い歴史を持ち、開湯は平安時代末期〜鎌倉時代初期と言われています。
その昔、子宝の湯と言われ、江戸城に献上されたこともある名湯です。
主な泉質 :単純温泉・アルカリ性単純温泉
泉質の効能:神経痛、筋肉痛、冷え性、美肌の湯など

堂ヶ島温泉

宮ノ下付近の国道1号から早川渓谷へと下った谷底にある、夢窓疎石が開いたとされる温泉です。
名僧ゆかりの渓谷温泉で、車では行けない立地で、秘湯感を味わえます。
主な泉質 :ナトリウム-塩化物泉
泉質の効能:神経痛、筋肉痛、冷え性、美肌の湯、切り傷、慢性皮膚病など

江戸時代は江戸の豪商の湯治場として栄えたと言います。その後明治時代に外国人の為のリゾートとして賑わいました。象徴的な富士屋ホテル前の国道1号沿いはセピア通りと呼ばれ、写真館やみやげ物店の看板の文字に当時の西洋文化の雰囲気、ハイカラな時代がしのばれます。今も多くの観光客が訪れる温泉地で、週末は国道1号線のT字路はかなり車が混みあいます。

 

【宮ノ下熊野神社の詳細情報】

住所  神奈川県足柄下郡箱根町底倉390
アクセス 箱根湯本駅から、箱根登山電車で約25分「宮ノ下」駅下車。
箱根湯本駅から、箱根登山バス(T・H路線)で約15分「宮ノ下」バス停下車。
駐車場 宮ノ下駐車場(有料)を利用

 

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