アミューズメント&体験

下田観光ならここ!幕末開港の時代の陰に儚く散ったお吉が眠る「宝福寺」

投稿日:2020年1月13日 更新日:

唐人お吉
Photo by triptimes

こんにちは!編集部のきらりです。

幕末を背景とした下田であった本当のお話で、アメリカの初の領事館ハリスに仕えた「お吉」を、世間の人々は快く受け入れず、お吉はお酒に溺れるようになり、自害してしまったのです。今でもお吉を忍んで毎年お吉祭りが行われています。そのお吉が眠るのが宝福寺です。

 

【1】「いずたびを見ました」の一言で特典あり!

いずたびを見ましたの一言で、入館料が50円引きとなります。

宝福寺は旅館ホテルの客室に設置している観光情報ファイル「いずたび」に掲載されています。

 

【2】下田宝福寺がお薦めの3つの理由

1. 目まぐるしく変わる開国の時代の影を支えた「お吉」が眠る宝福寺。

2. 山内容堂に勝海舟が、土佐藩を脱藩した坂本龍馬の事を免罪した場所、坂本龍馬が大きく飛翔した原点となったのがここ宝福寺なのです。

3. お吉のストーリーを垣間見る事ができる唐人お吉記念館があります。

 

【3】本当にあった悲しいお話

幕末の時代、アメリカの初代駐日総領事Tハリスの侍女 。下田在住の船大工の娘であるお吉は、安政4(1857年)下田玉泉寺駐在のハリスに、看護の名目で下田奉行から派遣されました。

条約交渉にのぞむハリスの態度を軟化させようとした「幕府の政略でもあった」とも言われています。

お吉は病気持ちの理由で、一度帰国しました。当時の世相の元では好奇の目を持ってみられてしまい、世間に入れず、やがて自害してしまった悲しい実話です。

お吉のお話は、現在でも全国各地で大衆演劇、歌舞伎、浄瑠璃、映画、歌謡などの題材として今も語り継がれています。

 

【4】儚いお吉の生涯

唐人お吉・ハリスヒュースケン 
Photo by triptimes

お吉の人生については、多くの小説や映画などが発表されていますが、真偽が混同して伝わり、今だに真相が分かっていないそうです。

3月27日お吉の命日には今もなお多くの関係者から、溢れるほどの花束が届きます。そして千鳥ヶ淵では、毎年命日の供養が行われます。

お吉祭り/千鳥ヶ淵
Photo by triptimes

 

【5】唐人お吉のあらすじ

1841年12月22日
愛知県南知多町内海に、船大工の斎藤市兵衛ときわの二女として生まれて、お吉が4歳の時に下田へ移りました。

7歳の時に河津城主向井将監の愛妾村山せんの養子となって、お琴や三味線を習いました。お吉は声が良く、特に十八番の新内節「明烏」を唄わせれば下田で右にでるものはなし。

安政元年14歳で、村山家から離縁されて、芸者となりお吉と名乗った吉は、瞬く間に下田一の人気芸者となりました。「新内お吉」「明烏のお吉」と呼ばれる有名芸妓になっていたとの事です。

同年3月、日本がアメリカと日米和親条約を結び、お吉のクラス下田が開港されると、
彼女の悲しいストーリーの始まりとなります。同年11月、開港されたばかりの下田に大地震と津波が襲来しました下田は破滅状態に陥り、お吉は家も家族も失い、絶望の淵に追いやられてしまいました。

そんな時に、彼女に光を与えたのは幼馴染の少年、鶴松でした。彼は立派な船大工になっていて、自腹でお吉に家を作り、お金も貸してくれたのです。吉は鶴松に救われて、何とか命をつなぐ事が出来ました。

しかし、不幸は続き、養母が病死し、お吉は15歳で天涯孤独になり、再び芸妓になりました。深い悲しみを抱えつつも、気丈に働くお吉。玉の様な美貌と、健気さで、下田の役人の宴席に必ず呼ばれる人気芸妓に成長しました。

そして鶴松に恩かねの借りを完済しました。2人は恋仲になりました。

1857年5月初代アメリカ総領事タウンゼント・ハリスが玉泉寺の領事館で日米外交を行っている時に、体調を壊して床に臥せてしまいました。

ハリスの通ヘンリー・ヒュースケンは、ハリスの世話をしてくれる看護婦の斡旋を地元の役人に依頼した。しかし、当時の日本人にとっては看護婦の概念がよく理解されていなかった為、妾の斡旋依頼だと誤解してしまったのです。

そこで選ばれたのがお吉だったのです。ハリスは支度金25両、1年の給金120両の大金。顔なじみの下田の役人たちに国難を救うと思って、身を捧げてくれ」と頼みこまれ、お吉は泣く泣く了承したのでした。

唐人お吉記念館
Photo by triptimes

下田から少し離れた柿崎村の玉泉寺は、当時コウモリやネズミの棲む場所だったそうです。当時お吉が作ったとされる歌が残っているそうです。「行こうか柿崎 帰ろか下田 思い戸惑うよ間戸が浜」お吉の悲しい様子がうかがえます。

お吉記念館
Photo by triptimes

しかし実際に玉泉寺に滞在しているハリスのところに到着してみると、ハリスは病気でした。お吉がハリスの世話をした期間は、色々な説があります。

1週間、3日間、いずれにしてもわずかな期間だったそうです。お吉は病気のハリスを寝ずに看病して、ハリスが好んだという「牛乳」を苦心して手に入れて、とても喜ばれたと伝えられています。お吉はハリスが外国人だからと言って、対応を疎かにしない、心優しく真の強い女性だったのです。

しかし当時の大多数の日本人は外国人に偏見を持ち、外国人に身を任せる事を恥とする風潮が強かった。当時幼馴染の婚約者がいたお吉は、固辞したが幕府役人の執拗な説得に負けてハリスのもとへ行く事になりました。

当初、人々はお吉に対して同情していたが、お吉の羽振りが良くなるにつれて、次第に周辺の人々は嫉妬するようになり、お吉は孤独感を感じるようになりました。

ハリスの体調が回復して、お吉は解雇され再び芸者に戻ったが、人々の冷たい視線が続き、このころから、お吉はお酒に溺れるようになってしまいました。

お吉記念館
Photo by triptimes

1867年 27歳で芸者を辞めて、幼馴染の鶴松と横浜で同棲しますが、その後3年後に下田に戻り、髪結を営むが、やはり周囲の偏見もあって経営は上手くいかなかったようです。

ますますお酒に溺れるようになり、婚約者との同棲も辞めて、芸者に戻り、やがて下田に戻って来ました。

お吉を哀れに思った船主の後援で、小料理屋「案直楼」を開くが、すでにアルコール障害で、度々酔って暴れるなどしてお店は2年で閉めました。

当時の様子が描かれています
Photo by triptimes

その後数年の間物乞いを続けた後、1890年3月27日、身投げをして自殺をしてしまいました。満48歳(享年50)でした。波乱に満ちた51年、短い人生であまりにも悲しい終幕でした。身投げをしたお吉に対しても人々は冷たく、3日も河川敷に放置されたままでした。

それを哀れに思った下田宝福寺の住職様が境内の一角に葬りましたが、あとで「この住職もお吉を勝手に弔ったとして、周囲から迫害されてしまいました。

今は下田宝福寺の境内に手厚く葬られ、その後芸能人により新しく墓石も寄進され現在に至っています。

歌舞伎、浄瑠璃、映画、歌謡などの題材として活躍
Photo by triptimes

 

【6】唐人お吉記念館

お吉記念館にて、お吉の使用したかんざし
Photo by triptimes

宝福寺には唐人お吉(斎藤きち)の写真や遺品など、記念館に収められています。

19歳の写真
お吉の法名所載の過去帳
支度金受領覚
お吉が使用したかんざし類
お吉人形
多くの著名人がお吉に魅了されてきました。

 

【7】坂本龍馬と宝福寺

謁見の間
Photo by triptimes

宝福寺は坂本龍馬の歴史的事件が起こったゆかりの場所です。1863年1月15日。山内容堂は宝福寺に滞在し、宝福寺を訪れた勝海舟の請を容れ、坂本龍馬の脱藩を免罪しました。宝福寺は龍馬の維新回天の飛翔の原点となりました。そのお部屋はまだ当時のまま残されています。

文久2年3月
国を憂う思いから坂本龍馬は、ふるさとである土佐藩を脱藩しました。脱藩してからの龍馬は、捕縛の目を避けて「勝海舟」に出会い、海舟と共に海軍操練所設立の夢を持って、土佐の若者たちと共に海舟の下に弟子入りさせ、順動丸に乗って、神戸から江戸に向かいました。その時龍馬は脱藩浪人として「指名手配中」の身だったのです。

文久3年1月15日。
龍馬を伴う海舟一行は、下田港に避難し、角谷に投宿していました。同じ時、第15代土佐藩主山内容堂は江戸より大鵬丸に上洛途上、ここ宝福寺に投宿していました。

幕府軍艦奉行並・勝海舟が入港したと言う知らせに容堂は、是非とも酒席に招きたいと使者を遣わしました。海舟もまたわずかな供を連れ、宝福寺に参上、謁見をしました。海舟は容堂に龍馬の脱藩の罪を解いて、その身を自分(海舟)に預けてほしいと懇願します。

容堂は、海舟が酒を飲めないのを知っていながらも「ならば、この酒を飲み干してみよ!」と切り返す。すると海舟は、ためらうことなく朱の大杯を飲み干しました。さらに赦免の証を求める海舟に、容堂は自らの白扇を取り出し、「瓢箪」(ひょうたん)を描き、その中に「歳酔三百六十回 鯨海酔侯」と記して海舟に手渡したのです。

この海舟の直談判によって龍馬はまもなく脱藩を許され、文字通り維新回天の活躍が始まったとの事です。龍馬は伊豆下田・宝福寺で、まさに天馬となって飛翔したのでした。

坂本龍馬にゆかりのある宝福寺
Photo by triptimes

 

【8】編集後記

宝福寺には幕末開国の時代の面影を残す記録や展示が充実しています。本当にあった下田のお話を、リアルに実感する事ができます。せっかくですから、ゆっくり時間をとってまわる事をお薦めします。

宝福寺近くのお薦めの宿はこちらです。

 

 

【9】宝福寺の詳細情報

電話 0558-22-0960
住所 静岡県下田市1-18-26

営業時間 8:00~17:00
休館日 年中無休
アクセス
国道135号線で下田まで、観光協会前左折
電車 伊豆急下田駅下車 徒歩10分
駐車場 あり

 

-アミューズメント&体験
-, , , , , , ,

関連記事

オルゴール・パイプオルガンをチャペルで演奏「伊豆高原ステンドグラス美術館・ミッシェルガーデンコート」

五感で癒されるスポットとなっています Photo by 伊豆高原ステンドグラス美術館 伊豆高原ステンドグラス美術館は、海辺にあるステンドグラス専門の美術館です。館内には英国から譲り受けた伝統あるステン …

伊豆の海に野生のウミガメが5頭いるって本当?!川奈の海の魅力を探る!

triptimes編集のSAKURAです。 私SAKURAは海が好き、ダイビングが好きで伊豆に移住しました。海でウミガメに会える場所と言えば、海外か近くても沖縄だと思っていました。 それなのになんと、 …

銀粘土で自由自在なデザインが楽しめるアクセサリー作り体験「銀工房 A&M」

素敵なシルバーアクセサリーを作ろう Photo by triptimes こんにちは。編集部のきらりです。今回ご紹介するのはシルバーアクセサリー作りの体験ができる「A&M」。伊豆高原にある体験 …

みかんでビタミンチャージ!みかん狩り600円「収穫体験農園ふたつぼり」(東伊豆)

1月から6月は1度に2~3種類もの蜜柑が同時に楽しめます(ニューサマーオレンジ) Photo by triptimes 収穫体験農園 「ふたつぼり」は地元でも人気のみかん園です。冬でも温暖な気候の東伊 …

「かねふくめんたいパーク伊豆」は見て、遊んで、味わう、明太子専門のテーマパーク

建物の上に大きな明太子のオブジェが目印 Photo by かねふくめんたいパーク伊豆 こんにちは。編集部のきらりです。 伊豆のニュースポット「かねふくめんたいパーク伊豆」は、明太子の製造過程の見学から …